Hakrラボ

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ITが発達する中での生命の有り方は精神的にどうあるべきなのか

time 2016/11/13

ITが発達する中での生命の有り方は精神的にどうあるべきなのか

生命としての考え方としても自身を自己として認識できる人間は生命本来のただ”増えるだけ”という定義からは遥かに外れた性質を持っている。他の動物を見てみてもただただ増えて子供を増やすだけでないのは見ても明らかだろう。

 

勿論人間の中にも多くは原始的な増えるだけの性質に片寄る場合もあるが、それでも人間と言える人間たちは自己を自己として認識し、自分の意味を考える。

 

その上で子孫を残すことを自分のあり方とし、後世に自分の生きた証を残そうとした。だが、人間は精神的に進化している生き物である。では、精神的に進化を始めた生き物はどうなっていったのか、国を後世に残す者も居た、その多くはまだ原始的だったため、子孫を残すことも宿命としていたが、そうでない人間は例えば芸術家だ、僕もそうだが、

 

僕達は子孫を残すことは全く、これっぽっちも素晴らしいものだ、等という認識はしていない、なぜなら作品そのものが生きた証であるからだ、場合によっては人間よりも遥かに数千、数万年と言った月日を生きる分身。

 

信仰も同じだ、誰かにあると認識されているものがたとえなくてもあるように、そこに存在があることは外見的には重要とはされず、そこに誰もが信仰をしているという状況があることが重要なのだ、自信が消滅した後もその進行は生き続け、語り継がれる限り生きた意味が生まれる。

 

勿論その人間たちごと消滅してしまったらまるで意味のないものに成る。では子孫を作ることには意味はあるだろう、と言われるかもしれないが、まるで意味など無い。全く、これっぽっちも意味はない。

 

人間が生きることに意味はなく、人間を生かすために、金という紙切れを道具として扱う人間のゲームの中では何の意味が有るのか、大きな視点で見ていったら種の存続なんてものはなんの意味もないことでタダの人間の後付けの自己満足に過ぎない。

 

だからこそ、形こうあるべきだ、といったものはなく、どうあっても良い、のだが、人間の生み出してきた歴史の中の道をたどっていく上で物語的にはこうあって然るべきという流れも有って良いだろうと思う。

 

古来は何を持ちて生きた意味や証を残したか、それは墓であり、絵であり、子孫であった。だが子孫に意味はなく、滅ぶ文明が有るのだとすれば、意味を持つのは墓と絵だった。

 

少し時は経ち、言葉が生まれた、だがここでも子孫は能力的に、土地的にも捕食をしあい、結局高度な言葉を手に入れたところで原初の生命の定義からはまるで抜けることが出来ておらず、人間はまだまだ虫に毛が生えた程度の知能しか持ち合わせてなどいなかった。

 

数千年が立ち、自らを寄り大量に滅ぼすための殺戮兵器を作り出した。これでは原書の生命にも劣るだろう。

 

そして更に数十年ここで世界中の戦争は一度は収まりを見せてはいるものの、現在は再び戦乱となるか否かと国は核を保有、原初の生命だけでなく、自分達のこめかみにすら銃口を当てながら自己消滅のプログラムを作り出し、今か今かと自滅の時を待っている。

 

その中でITは進化し、現実のアナクロな世界からは一線を引いた地続きの網目として世界を繋ぎ、その中で新たな文明が築かれようとしている、アナクロな世界を置いてけぼりにし、新しく全世界が理解し合える土俵が出来た。

 

にも関わらずそれに気がつかない人間は未だに殺し合いのことしか考えてはいない。

 

自らの生命のあり方は自ら否定しようとも結局原初の生命から数段下ったタダの物質以下になろうとしている。

 

いやむしろ見方によっては消滅こそが本質なのか、偉大なものなのかも知れない。

 

大きく見れば世界は全くのゼロから生まれる事となり、現在は1と見るべきなのか、数億の羅列がありその中のひとつの形が変わっただけなのか。

 

いずれにしろ人間が人間をこうあるべきだと固定してしまうのはいささか傲慢も甚だしく、愚かしいにも程があると言う物なのか

 

さて長い前置きは捨て置いて

こんな状態の中ITというものが生まれてきたわけだが、これは今や最も最先端で簡単に子孫を残すことができる手段となった。勿論これは僕の視点からどうか、そして僕個人はどう有りたいか、と言うだけの事だからあなたがどうあるべきかはあなたが決めるべき事柄で貴方にはあなただけの生きる意味があることだろうし、そうでなければ面白くもなんともない。

 

ここはあくまでヒカリズム、僕の主観を語る場所であり、僕の生きた意味で生きる意味だ。

 

小さい世界と思うか、広大な世界と思うか、あなたはどうだろうか、僕にとっては住み心地のいい場所でそれは僕にだけ意味のあるものかも知れないがたとえ誰かに認められなくてもそれは自分だけが意味のあるものだと考えていたのならばそれだけで意味のあるものに違いはない。

 

金というものや、愛というものが僕にとっては殆ど意味がないように貴方に取って僕が意味が無くとも何も問題など無い。

 

誰にも誰かの生き方を決める権利などないのだとすれば僕には少なくとも僕の生き方を決める権利くらいは有るだろう。そしてあなたにもあなたの生き方を決める権利は当然有るだろう。

 

意味なんてもの最初から無いのだから作っていくのは当然自分だろう。

 

人間の本質は無価値だ。

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